翻訳会社とだろう文

翻訳会社に勤めている方や、翻訳家にとって同一の表現の多様は良くありません。

最近では、自分が文章に携わる人間であると忘れてしまっている様な小説家は多くいますが、翻訳家が下手な翻訳をしてしまえば、原作を書いている小説家の質まで低く見られてしまうのです。

ですから、翻訳家の日本語とは、時に小説家よりも重要な場合もあるかもしれません。

冒頭にある様に、同一の表現をしつこい位に使う文章書きも存在しますが、それは、その表現が気に行ってあえて使っている場合と、自分でも気付かない内に使っている場合もあります。

そして、後者の場合は直していかなければならないでしょう。

例えば、「彼は今日車に乗り込まなければ事故に巻き込まれる事は無かっただろうが、その場合は他の不運に巻き込まれていただろう、つまり彼は本当に運がない男だと言えるので、悪魔にでもとり憑かれているのだろう」の様な翻訳文がありますが、「だろう」という言葉を多用しているのがお分かりでしょうか。

このくらいの文章で、3つも同様の表現をするのは避けた方が無難なので、「彼は今日車に乗り込まなければ事故に巻き込まれる事は無かっただろうが、その場合は他の不運に巻き込まれていたかもしれない、つまり彼は本当に運がない男だと言えるので、悪魔にでも憑かれているのかと疑いたくもなるものだ」の様にすれば良いのではないでしょうか。

文章と音楽

翻訳会社勤めの私の知人が、文章を書く時は、音楽を思い出すと良いと言っていました。

初めに結論を言ってしまうと、音楽とは聞いていて心地よい音になりますが、文章もそうあるべきだという事です。

海外ではラップというジャンルの音楽がありますが、文章を独特のリズムにのせてメッセージ性の高い歌詞を伝える音楽になります。

この時に、ハチャメチャな文章を作ってしまっては、聞いている方も心地よく感じないと思います。

それは、文章に関しても同様であり、自分の作成した文書をリズムよく朗読していくと良いのです。

良い歌は、歌っているだけでも気持ち良い様に、良い文章は朗読していても小気味良いものです。

さらに、実際に声に出して読んでみる事により、細かな間違いや多重表現などを発見する事が出来るかもしれませんので、文章を作成し終えた際には、しっかりと自分の口に出して読んでみると良いはずです。

ちなみに、文章を作るのが下手な方は音痴であると言った様な都市伝説も存在しています。